本来、食事とは厳かなものであるよ

雑記

雑な食生活と、隠れ栄養失調

お腹を満たすために「手軽に・安く」しようとする。

すると私の選択肢は、脂質・糖質が主体の食品(インスタントラーメンや菓子パンなどの超加工食品、あるいは脂質・糖質が主体の食品を単品喰い、ジャンクな外食)になります。

不安やストレスがかかっていたり、時間がとれなかったりすると自ずとこの食事内容になってしまいます。

「手っ取り早く空腹を満たす」「ストレス喰い」ですね。

しかし、そんなものばかり食べている場合ではないんです。

身体的にも金銭的にも、人が食べられる量は決まっています。

確かに時間がとれない中、手軽に安く済ませようと思えば簡単です。ただ、これが習慣になってしまうと「栄養失調」になり、この「栄養失調」が解決するまで食べ続けることになるでしょう。

そして食べ過ぎで体内に余ってしまった脂質・糖質はこの習慣を止めない限り、どんどん中性脂肪となります。まず体に現れやすいのはそう、「肥満」ですね。

私の食生活の中で足りないもの、それはざっくり「タンパク質」「食物繊維」です。

両者とも、きちんと食事の準備をしないと摂取できません。

食事からだと基本的に日持ちしないものだからですね。

なので手軽で日持ちのするインスタント食品や炊くだけのお米(美味しい)ばかりになりがちです。

体に不調が現れるのもわかりますよね。

現代に生きる、私の食事という行為の目的とは

私は今まで、食事の目的を見誤っていました。

今までは「手っ取り早く空腹を満たす、飢えや不安を満たすこと」でした。

しかし今後は「本来の人間の心と体のパフォーマンスを取り戻すこと」。

本来、食事とは厳かなものであり、命をいただいているんですよね。

その食事を雑に扱うということは、自分を雑に扱うということだと同義だと思います。

(雑に用意したものを体に入れる=自分を雑に扱っている。)

私はこう考えるよ

生まれてから死ぬまで、もっとも自分の近くにいるのは自分です。

今まで自らを雑に扱ってきたのは自分自身だったんですよね。

外的要因はたくさんあると思います。しかし、一度立ち止まってみること。

自分の世界の中心に、自分という存在を置く。これです。

そして、過去の自分に言ってあげたいです。

「そんな隅っこで、何を遠慮しているの?大丈夫、そんな必要は全く無いよ。」と。

不調や不安を感じる時は「心と体からのメッセージ」だと受け取り、

小さなことも決して無視したりせずに、体と心の声に向き合っていきたいと思います。

そんなこんなで普段何気なく行っている食事ですが、大いに体と心に関係しています。

現代社会において食生活が乱れるということはこういうことだと、私は思います。

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